納得!朝三暮四

色々書きます

「お金を入れてね!」

普段使っているスーパーには、簡単なゲームコーナーがあり、ガチャガチャとかチューインガムが貰えるよくわからん機械が置いてある。その中に、プリチャンが鎮座している。悲しいかな、地方小都市のスーパーマーケットの客層はほとんどがジジババで、ついぞこのゲームが遊ばれているところを見たことがない。一度だけ、「ボタンを押すのは楽しい!」ということに気が付き始めた頃の男児が金も入れずボタンを連打していたのを見たっきりである。よしんば、対象年齢の女児がいたとしても、買い物の付き添いに来ただけの子供が、ナマ物を腐らせたくない母親を言い含めて、ジジババの前でゲームに興じるということの難易度が、ゲームそれ自体の難易度よりもはるかに高いことは想像に易い。アイドルになりたい女の子も、地方営業なんて別にしたくないのだ。しかるに筐体の中の女の子たちは、今日も周りのジイサマバアサマに向けて空虚な声を上げ続けている。

最近のああいう筐体は、おそらくカメラがついていて、目の前に人が立っているときと立っていないときで微妙に宣伝の内容が変わるらしい。目の前に立っている人は少なからず興味を持っているのだろうから、より積極的にゲームをプレイするように求めるのである。ただ、あまりに小さすぎてサッカー台(というらしい、あの荷物詰めるスペース)の真後ろに置かれているプリチャンは、荷造りを終えて通り過ぎるジイサマバアサマに反応して声をあげるのである。

お金を入れてね!

昨今の基本無料ゲームに慣れきった子供たちにとっては、お金を払わなければ遊べないゲームが存在することを知らないのかもしれない。あるいは、お金を入れずともある程度進んで途中からお金を入れるシステムだと思っている子供もいるのかもしれない。そういった子供に向けた言葉なのだろうか。あるいは、遊びもしねえくせにゲームの前に陣取ってんじゃねえぞという脅しであるのか、色々な気持ちが込められているのかもしれない。

お金を入れてね!

それにしても、なかなか「お金を入れてね」とは日常生活で使うことのない文章だ。1000円カットの券売機の使い方がわからんジイサン相手にしか使っているところを聴いたことがない気がする。それも、お金を入れる客と、入れられる機械、説明する店員の3人がいる状況で使われる言葉だ。プリチャンはお金を入れられる側であり、説明をする側なのだ。そしてまた、ゲームの中の彼女たちは決してその世界の内だけで生きていれば、発することがない言葉だ。いかに彼女たちがアイドルといえど、ファンに向かって「お金を入れてね」とは言わない。ゲームの中の世界から、わざわざこちらの世界の事情を汲んで、メタな発言をしているのである。いったい声優はどういう気持ちで「お金を入れてね」を収録しているのだろう……。

お金を入れるのかしら?

いや待て。
それはなんだ。「お金を入れるのかしら?」、それを、尋ねるのか?俺はプリチャンのことは全くわからんが、このセリフから、このキャラクターがおそらくはお嬢様で、ちょっと高飛車なところがあるキャラクターなのだということぐらいは、超絶リテラシーをもって理解することができる。プリチャンが好きな女児もまあ知ってるんだろう。こういうキャラクターは、お金の要求なんかしない。お嬢様だし。こういうキャラクターが「お金を入れてくださいね」とか言おうもんなら、没落からのにゃんにゃんな薄い本の展開まで読めてしまう。こういう現実に存在しなそうなお嬢様キャラクターは多分女児受けもいいんだろう、多分。だからわざわざゲームプレイの要求にまで出しゃばらされているのだ。その、落とし所が「お金を入れるのかしら?」なのか。「まあ、私はあなたがプレイしようがしまいが好きにすればいいとは思うけれど」ぐらい前置きとしてついてきそうだ。でも、こんなコンテクスト、女児には読めないだろ。「そうだよ!入れると遊べるんだよ!」って毎日どこかで答えている女児がいるんではないか……

通り過ぎ去ったジイサマを見失ったしゃべる箱は、また目の前に人を呼ぶ宣伝へと戻っていった。多分着せ替えた後、リズムゲームかなにかするんだろうけど、お金を入れていない私にはそこまでの説明なんてしてくれず、女の子たちが笑顔で歌を歌っているのが流れるのみである。